’19-03-27 会長挨拶

 皆様、こんばんは。 ちょうど桜が咲き始めた時期に、お客様もお迎えして、合同花見例会を開催することができました。
  飛火野クラブ様との合同例会は、ガバナー公式訪問、曼珠沙華例会に続き3回目となります。ここ数年、合同例会では出席率で飛火野クラブ様に大差で負けることが多いのですが、今回は、我がクラブの遠藤出席委員長が頑張りましたので、今日は名勝負になるだろうと、後ほどの出席報告を楽しみにしております。 また今年度のガバナー公式訪問合同例会での会長挨拶では、飛火野クラブの天野会長の渾身のご挨拶に、熱意と迫力で完全に負けました。本日の会長挨拶では小道具も用意して勝負を挑もうと思っておりましたが、天野会長から1時間ぐらい前に(まだ遠方におり)本日は参加できない旨のご連絡をいただきまして、残念ながら(?)勝負はお預けとなりました。
 皆様、姨捨山の話はご存知のことと思います。姨捨山の話は3種類あるらしいのですが、そのうちのひとつは、年寄りを捨てるべきとの国の掟に背いて内緒で母親を隠していた息子がいた。あるとき、その国がピンチに陥ったとき、この母親の知恵によって難局を切り抜けることができた。以来、その国は姨捨を行われなくなった、という話です。 私はこの話を、老人を大切にしなさい、という道徳的な教えとセットで聞いた覚えがあり、そのとき、大きな違和感をもちました。その話の論理は、老人でも役に立つから大切にすべき、であり、では、役に立たない人間は捨てるのか?ならば、この話のどこが道徳的なのだ?と疑問に思ったからです。
 さて、ロータリーの有名な標語のひとつに 「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる They Profit Most Who Serve Best」というものがあります。私は、この言葉を聞いて、正直、がっかりした経験があります。 もちろん、結果として、最もよく奉仕した者が最も多く報いられることもあるし、それは良いことだと思います。しかしながら、この標語の使い方を間違うと、「よく奉仕すれば、多く報いられる。だから奉仕活動を頑張りなさい」という論理に陥ってしまいます。 ここでの「報いられる」を、心の安らぎや充実感を含み、広い意味で人生を豊かにする、と解釈すれば、違和感は薄まりますが、それにしても、何らかの対価を期待して奉仕している、という感じが残ります。
 私達は、それぞれがいろいろな理由のもとでロータリーの会員になっていると思いますが、人間が本来的にもっている本性のひとつ、他の人や社会のために役立ちたいという純粋な動機を共有しており、そこに誇りを感じているのだと思います。 この標語を耳にすると、その誇りを微妙に否定されているような感じを受けてしまうのは、私だけでしょうか…?
 楽しい酒の前に堅い話になってしまいました。先々週に、会長エレクトのPETSが行われ、新たな年度に向けた計画づくりの時期になりつつあります。
 本日が、両クラブの会員同士の親睦を深め、楽しいひとときとなることを願っております。よろしくお願いいたします。